有吉南貝塚は、村田川が流れる谷からわかれた2つの谷に挟まれた標高約40mの台地の上にあります。大小8ヶ所の貝層が円形に連なった直径130mの馬蹄形の貝塚です。近くには、北側約200mのところに有吉北貝塚があります。
遺跡の一部は、平成8年から平成13年にかけて財団法人千葉県教育振興財団によって発掘調査が行われ、その様子が明らかになりました。
調査の結果から、ここには旧石器・縄文・古墳・奈良・平安・中世と長い時代にわたって人が住んでいたことがわかりました。
中でも貝塚が作られた縄文時代中期後半頃(加曽利E式期:約4500〜4000年前)の竪穴住居跡約60軒、焚火跡2ヶ所、貯蔵用に利用した穴(小竪穴、土杭)約300基、柱の穴、溝などの生活に関係した跡が見つかっています。
生活跡からは、当時の人が使っていた縄文土器や骨・牙・貝・石・土を焼いた物などを利用して作った斧・やじりなどの様々な道具や耳飾りなどの装飾品が出土しています。
この他には、人やイヌ・イノシシが埋葬された跡(墓穴)なども見つかっています。
貝塚の貝層の中にはハマグリ・アサリ・シオフキ・キサゴ・オキシジミ等の貝の他に鳥・獣・魚の骨なども入っていました。
日枝神社境内と遺跡公園のほとんどの部分は、そのままの状態で残され、遺跡は保存されています。このまわりで見られる白い貝殻は縄文人によって海からこの地に運び込まれてきたものです。
右写真は有吉南貝塚から埋葬された男性の骨と共に出土したイルカの骨で作った装身具です。これには非常に細かい文様が施されており、赤く塗ったあとも一部残っていました。このような立派な装飾品と共に埋葬されていることから、この男性が狩りのリーダーや村長のような重要な立場の人物で村人達によって丁重に葬られたことが伺われます。 |